翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘンリー・ホットスパー・パーシー
・ ヘンリー・ホッパー
・ ヘンリー・ホブソン・リチャードソン
・ ヘンリー・ホプキンス・シブレー
・ ヘンリー・ホランド
・ ヘンリー・ホランド (エクセター公)
・ ヘンリー・ホランド (建築家)
・ ヘンリー・ホランド (第3代エクセター公)
・ ヘンリー・ホルスト
・ ヘンリー・ホルデン・フス
ヘンリー・ボイル (野球)
・ ヘンリー・ボリングブロク
・ ヘンリー・ボーフォート
・ ヘンリー・ボーフォート (第2代サマセット伯)
・ ヘンリー・ボーフォート (第3代サマセット公)
・ ヘンリー・ポトニエ
・ ヘンリー・ポールスン
・ ヘンリー・ポールソン
・ ヘンリー・ポールソン・ジュニア
・ ヘンリー・マウントバッテン=ウィンザー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘンリー・ボイル (野球) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・ボイル (野球)

ヘンリー・ボイル(Henry J. Boyle ,1860年9月20日 - 1932年5月25日)は、主に1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。右投げ。打席左右は不明。ニックネームは"Handsome Henry"(ハンサム・ヘンリー)。1886年のナショナルリーグ最優秀防御率投手。
==経歴==
1884年にユニオン・アソシエーションのセントルイス・マルーンズに加わった時は主に外野手として出場し、打率.260と4本の本塁打を放っている。投手としては19試合に登板して15勝3敗、防御率1.74という成績だった。ユニオン・アソシエーション解散後、マルーンズは1885年にナショナルリーグに加盟、この年ボイルは投手と外野手半分ずつこなしたが、打つ方は打率.202で、投手としても16勝24敗で100与四球を記録するなど精彩を欠いた。
1886年からは投手に専念するようになり、この年の勝敗は9勝15敗だったが、防御率1.76はリーグトップとなった。マルーンズはこの年限りで解散し、ボイルは翌年インディアナポリスに移籍する。インディアナポリスには3年在籍し、3シーズンともチームトップの勝ち星を挙げた。1889年には21勝(23敗)を記録している。
1889年を最後にフージャーズも解散してしまったため、ボイルは翌年のシーズン前にニューヨーク・ジャイアンツに移籍したが、ジャイアンツでは結局出場しないまま、再びメジャーに戻ってくることはなかった。1932年にフィラデルフィアで死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・ボイル (野球)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.